福島第一原発の炉心溶融から二週間を経て、米国ニューヨーカー誌に「東京からのポストカード」として大江健 三郎の寄稿文『歴史は繰り返される』が掲載された。この中で大江は、今回の福島第一原発事故を機に日本人が核 の歴史を直視し、広島、長崎の犠牲者の視点で捉え、原子力が戦争抑止に有効であるなどという幻想と決別できる ことを願うと綴る。そして、原子力という名の暗いトンネルを抜けた、その後に見る夜空の星に希望の光を重ね、 ダンテの『神曲』の最終行を心の拠り所にしながらこう結んだ:「かくてこの處をいでぬ、再び諸々の星をみんとて」。 日本に「原子の火」が灯されてから五十余年、日本の夜空は瞬く街灯に包まれ、星は数えられるほどに減っていった。 しかし震災直後、明かりは消され、多くの人びとが夜空を見上げた。空には星が降り、街は闇に包まれていた。「三・ 一一後」の世界はふたつの闇で覆われている。核の灯りを消すことで現れる闇は星を輝かせる一方で、核がもたら す闇は星を雲らせる。つまり「星が降るとき」とは、原発事故後に日本を覆った「闇」が持つ両義的な意味につい て思いを巡らせる場である。 原発事故から二年以上たった現在、核にもたらされた「闇」は更に広がっている。被災者をめぐる状況は改善ど ころか複雑化していく一方である。まき散らされた放射性物質は、日々の暮しに不安や恐れをもたらし、さまざま な分断や差別を生んでいる。しかし、放射性物質の移動を阻む壁は存在せず、被曝と非被曝の境界はとても不規則 で曖昧である。ホットスポットは福島だけでなく日本各地に広がり、海をも越え被曝を生み出している。「闇」の源 は福島だけではなく、ヒロシマ、ナガサキ、スリーマイル、チェルノブイリ、そしてウラン鉱山、プルトニウム処 理施設、核廃棄施設などでも生産されてきた。本書はこうした闇の下で生きることを強いられている人びとの経験 や記憶を刻み、福島と世界とをつなげる試みの一つでもある。 日常を核が浸食する「三・一一後」の世界で、人びとは何を守り、何を背負い、何を捨て、何を拠り所に生きてい くのか。 大江は震災直後に彼の思いを「東京からのポストカード」に綴った。本書に投函された「ポストカード」は、 福島を含む日本各地および世界各地に暮らし、「三・一一後」を生きる人類学、社会学、政治学、生態学などの研究者、 活動家、農業者、生活者、詩人、芸術家などが、それぞれの立場で、原発事故と原発事故がもたらした様々な事象 とそこに投影された日常を綴ったものである。 原発事故の「闇」は、意識的および無意識的に人びとの普段の生活の中へ入り込んできている。そうした闇は様々 な検出値、散在する放射線物質、変幻自在なホットスポット、といった不揃いな大小の塊や破片となって拡散して いる。深まる闇のなかで暮らすことへの葛藤、試行錯誤の日々が続いている。しかし、再び街灯がともった「三・ 一一後」の夜空では星を確認することは難しい。世界中の多様な声を綴っていく。それぞれの思いを語り、つなげ ていく。長いプロセスであるが、その後に見える夜空を想像する一歩となるのかもしれない。
二〇一三年三月二八日
サンタクルーズ、東京、プリンストン、京都にて ヘザー スワンソン セイヤー ライアン 高橋五月内藤大輔 |